自宅のアカ落とし
11月から本格的に断捨離を行った結果、ひとまず今日で
断捨離の山がなくなりました。
週に1度、リサイクルショップに行っては愛着のあるモノ達とさようなら~
の儀式を繰り返してきました。
ほんの数か月前の査定で数千円だったものが、数百円になってしまう世界。
自分のもっと高く売れるんじゃないかという欲に振り回されたこの数か月。
『何の為に私はモノを買ってきたのだろうか。』
『こんなに残念な、やるせない気持ちになる為にモノを買ってきたんだろうか』
と自問自答の日々でした。
それだけ、私がモノに執着があった証拠だと思います。
毎回、査定金額を見るたびにため息ばかりでしたが、いくらとても高い洋服でも
一度でも袖を通せば中古品。
ましてや、年月が経ってしまったものはもはや流行りからも取り残されて
新品だったころの輝きはどこにもありません。
モノを手放し続けて、自分のモノに対する接し方や購入癖が良く分かりました。
そして、そのことに気付けたおかげでモノを購入する目がとても
研ぎ澄まされるようになりました。
欲しいモノがあったとしても、それを自分の感情に任せて購入するのではなく、
『今の自分にとって本当に必要なのかどうか』
『これから先、使い続けていくのかどうか』
一呼吸おいて考えることが出来るようになりました。
そして一呼吸おいて、無かったものに対しては縁が無かったモノとして
執着することがめっきり無くなりました。
不要なモノを取り除くことによって、結果自分の必要なモノだけが周りに
残るようになる。
当たり前のことなのですが、それすら分からなくなっていました。
自分にとって不要なモノが何なのか。
沢山のモノに囲まれているとそれすら気付くこともなく、ともすれば
『壊れていないから』、『しまう場所があるから』、といった理由で
不要なモノと認識されないですが、それがイコール必要なモノでもない
ということもよく分かりました。
そんなタイミングで、母から届いたのモノがこれ。
なかなか幅をとる、そしてなかなか派手激しい着物の上っ張りです( ;∀;)
隙間が出来たと思ったらこれです(笑)
でも今の私には必要なモノなので、その為に収納出来る場所が出来たのだと
思います。
不要なモノがなくなれば、必要なモノが入ってくる。
息を吐いて、息を吸っての身体のリズムと同じように、
家にも呼吸が必要ですね。